タ  チ  バ  ナ   畳  店

047-463-8807 

 畳・襖・障子は私が責任をもって施工させて頂きます。

経歴

・昭和39年集団就職で上京し、東京都畳工業協同組合の常任理事などを務めた目黒区の田中畳店で住み込みで修行に入る。当時金の卵と言われた頃に畳屋になりたいと就職担当の教師に申し出た変わり者がいると産経新聞の夕刊に取り上げられる。

・昭和42年親方の勧めで東京都畳高等職業訓練校に入校、昼間仕事をしてから夜間に東京湯島の教室で学科の授業を受け、月に数日東京都の訓練施設で実技訓練を受ける。

・昭和45年東京都畳高等職業訓練校全過程を修了し、弟子としての年季明け、引き続き住み込みで職人として勤める。

・昭和51年永年勤めた親方の店を退職。親方が亡くなった現在も盆、暮れ、正月には墓参りを継続中。(店は3代目で廃業)

・昭和52年船橋市松が丘にて独立する。

・平成12年より船橋市小規模施設修繕業務登録店となり船橋市の施設等の畳、襖、障子を請け負い現在に至る。  

              私の出発点

 私の原点となる古い新聞です。弟子入りして三日目に産経新聞の記者が来て取材を受け、昭和39年3月31日の夕刊に取り上げられました。(左上の写真)将来独立をしたいからと学校を通して『畳店を探している変わり者がいる』と五反田職業安定所から目黒区商店街連合会に問い合わせが有り、それならと福田赳夫元総理大臣、春日一幸元民社党委員長、自由ヶ丘亀屋万年堂など財界人、スポーツ選手、芸能人宅などの仕事も数多くしていた親方の店を紹介されました。当時、金の卵と言われた時代に『新卒の子供が求職して来たのは珍しい事だ』と五反田職業安定所の担当した職員に言われました。

いい仲間との出会いの場でした

 

    湯島駅前にある私が学んだ『東京都畳高等職業訓練校』、通学していた頃は木造二階建ての学び舎でしたが、先日電車で近くまで行ったついでに寄ってみましたら高い建物に変わっていました。末広町駅から黒門町と通学した道沿いは面影もなく、落語に出てくるような昔風の建物があったのが頭をよぎり、仲間と楽しく学んだ頃を懐かしく思い返しました。(修了当時の東京都知事は美濃部亮吉さんでした。)